一つの小説を読むときに、その小説の固有の面白さやいわくいいがたさ(説明のつかない面白さ)を発見できないかぎり、その小説は型や時代・社会の傾向の産物にしかならない。(中略)小説について考えるときに、固有の面白さ(というよりは、いわくいいがたさ)を忘れては絶対にいけない。それを忘れてしまったら、小説を語ることではなく、時代や社会を語ることにしかならない。――つまり、逆の言い方をすると、小説を総括的な視点から語る人は、小説に関心があるのではなく、時代や社会や、その関数としての個人に関心があるといいうことで、せめてそのことに評者本人がもっと自覚的であってほしい。
—保坂和志.(2005).小説の自由.新潮社.50