Lover Teresa's Funeral.

The Case of Self-Consciousness of Lover Teresa.

 さきほど書いたように、文字で書かれる文章というのは順次的・直列的であって、物理的な外見からいったら、『暗夜行路』と『子どもたち』には――ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と水墨による山水画のようには――違いはないにもかかわらず、読むときの印象はまるっきり違っている。大げさな言い方をすると、『子どもたち』では、書かれた文字を起点にして、こちらの注意が四方八方に飛び散るような気がする。
 私はここに小説という表現の真骨頂があると思う。小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。作者の意見・思想・感慨の類はどうなるのかといえば、その運動の中にある。

—保坂和志.(2005).小説の自由.新潮社.60