夢の中で「私」はモンタージュ以前の世界に投げ出されている。夢の中で大の大人が何歳になっても真剣になるのは、モンタージュが完成されていない、断片化された世界の中で、「私のようなもの」が必死になって世界の統一を見出そうとする意志(生きようとする意志)の作用によるのではないか。「生きようとする意志」は脳幹に由来するとされているらしい。脳幹は脳の一番古い部分だから爬虫類にもある。脳幹から発現する「生きようとする意志」は「意識」にエネルギーを供給しつづけている重要な要素だが、「生きようとする意志」もまた「意識」とは別もので、モンタージュ以前に生体に組み込まれている機能だ。
夢の中で人は、「鏡像段階」以前の〈寸断された身体〉ならぬ〈寸断された世界〉に投げ込まれている。さらに人は、夢の中では自分の姿さえも外から見ていることもある。第2、3章の視覚と思考の問題の章でも書いたことだけれど、現実の中でももしかしたら自分は自分のいる空間を俯瞰するような視野を作り出しているのかもしれない。「意識」がつかのま間借りしている、「私」と呼んでいるこの生体は、本当のところ、それまで経てきた「場所」や「時間」や「対象」をただ保管しているだけの貯蔵庫にすぎない、ということなのかもしれない。
—保坂和志, (2001), 世界を肯定する哲学, 筑摩書房. 166-167.