Lover Teresa's Funeral.

The Case of Self-Consciousness of Lover Teresa.

「ここにいてほしいとおっしゃるなら、よろこんでいましょう。時間ならあるのです。今日、審理があると思ってきたのですから。さきほど申したことは、わたしの裁判に対してわたしのために何もなさらないようにおたのみしたわけです。訴訟の行く末がどうなろうとまるで関心がなく、どんな判決が出ようと、ただお笑いなんですよ。そう言っても気を悪くすることはありませんね。そもそも訴訟が集結にいたるのかどうかも、大いに疑っているのですよ。役人たちの怠惰のせいか、忘れっぽさか、あるいは役人根性の臆病さから中断するか、つぎにはもう中断のやむなきにいたるのではありませんか。何かワリのいい賄賂なんぞあてにして、訴訟を引きのばすなんてことはあるかもしれませんが、いまから言っておきますが甲斐性のない期待であって、わたしは賄賂は使いません。そういえば、お手伝いいただけるとありがたいのですが、予審判事なり、あるいは大事な情報を受けもっているような誰かに伝えてほしいのですがね、私は決して賄賂などしないし、これまでさんざん私腹をこやしてきた人を、さらに豊かにしようなどとは思わないってことをですね。その点、まるで見込みがないことを、はっきりとおっしゃっていただいていいのです。あるいはもうとっくに気づいたかもしれず、たとえまだそこまでは気づいていないとしても、遠からずわかることです。それがわかれば、お歴々にもよけいな手間が省けるでしょうし、こちらだって多少の不愉快なしにいられる。もし、まあ、めいめいが当てこすりを言い合うような状態をつくるとわかっていれば、不愉快はしのんでもいいのです。そんなふうになるようにやってみたいじゃないですか。それはそうと、ほんとうに予審判事をごぞんじなんですね」

—フランツ・カフカ, (2009), 審判, 池内紀, 白水社, 67-68